やっぱり、 すぐ直さなければいけない故障だった。 しかしサルタが言ったとおり、 着陸する必要は全くなかった。 むしろ無重力状態の方が便利だったに違いない。 空中に浮いて道具も手元に浮かべたら簡単に作業ができたのに、 箱に登って天井を仰ぐことになった。 船の不調をゴドーはまるで生き物の苦しみであるかのように切なく感じた。 遠海航海に向いていない古い船をハイジャックして無理に使っているが、 どうしようもない。 ちゃんと直すこともできない。 装置の半分はドックに入れないと処理できないのた。 それでもわずかな道具と絶縁テープを持って機関室に入った。 もちろんオルガも一緒だった。 人間以上に動きが正確で疲れも知らないし、 育児ロボットとして作られたので感度の高いセンサーが装備されている。 オルガがいて助かった。 処理を終えて機関室から出ると夜が明けていた。 全ての窓から寒そうな光がさしていた。 航海中は窓にあまり気がつかない。 室内が映っているだけだ。 光を通した今の船は意外に狭くて薄汚れて見えた。 サルタがサロンに入ってきた。 船内時間でも朝になっていたのだ。 サルタは夕べ着陸のときに窓から灯りを見つけて、 すぐ側に小さな町があることを地図で調べたらしい。 人の住む場所へ来たなら町へ降りて役立つ情報がないか探してみようと言った。 ゴドーは徹夜したから、 そして船のトラブルで一週間も寝不足だから残って寝た方がいいとオルガは言ったが、 そんなことは論外だった。 せっかく新しい星へ来たのに昼寝などするものか。 それに故障を直して疲れてはいたけれども、 落ち着くことができなかった。 何もせずにいられない。 「町はここから見えますか?」 と言いかけて窓を覗いたら、 言葉を呑んだ。 サルタも呆気にとられてなんだこれはと声をあげた。 厚いガラスの外を透明な液体が流れていた。 あたり一面に空から点滴が落ちてくるように見えた。 外板のセンサーが反応しないので有害な物質ではないらしい。 コンピューターに駆け寄り外部の状態を調べてみると、 確かに大気が不安定だった。 無数の点滴が上空に生じて、 しかも数時間も前から降っていた。 急速分析では水だった。 「異変ですか?大気が液体状態にでもなるのか?」 「空気はまだ息ができるな」 サルタはコンピューターのスクリーンを、 ゴドーは窓を見つめた。 突然オルガが口を開いた。 「地球でも昔、 空から水が降ったことがありました。 絵本でアメというの」 「そうだ、 雨だ!」 サルタが叫んだ。 「降雨ってやつだな。 最初から分かっていた、 この星じゃ水の循環が完全な形になっているんだ。 異変じゃない。 自然現象だぞ」 ゴドーもほっとして笑った。 朝食をとりながらときどき窓に目をやったが、 雨はやまなかった。 支度はコートを着て靴を履くぐらいだった。 銃を取ろうかとゴドーはためらった。 武器を持って船を出るのが常識だけど、 水中用のライフルではない。 ビームが水滴に屈折して自分に当たったりしたら困る。 置いていくことにした。 扉を開けると、 ざあざあという音と不思議な匂いが流れこんできた。 二人は突っ立ったまましばらく外へ出ようとしなかった。 やがてサルタが言った。 「なんだ、 宇宙ハンター君、 雨が怖いのか?ちょっと探検してみろ」 ゴドーは手を伸ばして、 引っ込めて水滴を舐めた。 味は確かにただの水だった。 あえて外へ踏み出したとたん、 顔に、 手に、 襟の中へ雨が落ち始めた。 「おもしろいですよ、 博士。 まるでシャワーみたい」 サルタはもう一枚のコートを頭にかけて、 出てきた。 オルガは留守番に残った。 湿った空気が機械によくないのだ。 町のある方向をサルタが自信たっぷりに指すと二人は歩き出した。 ここは海へ続く高原のはずだったが、 雨で景色が見えなかった。 船もまもなく消えた。 地面に生えている草を踏みたくなかったがしかたなく踏んでいった。 五分ほど後に道に出た。 道と言ってもリニアカーが通れるものではなく、 ただの轍だった。 ふいに自信をなくしたサルタがゴドーに船のコンピュータから腕時計に地図をダウンロードするように言ったが、 その時エンジンの音がして労働キャンプのトラックを思わせる一台の旧式の乗り物が現われ出た。 物を売りに来たのではない、 町で訊きたいことがある、 とサルタが説明するとトラックに乗った男が興味を失った表情で答えた。 火事や船のことは灯台のノタリンっていう奴に訊けばいい。 雨が平気なら、 この道をずっと進めば灯台へ着く。 行く方向が違うから乗せてはいけない。 臭いガソリンの煙を残してトラックが去った。 道は歩きにくかった。 雨がだんだん激しくなり、 一陣の風が体に当たるたびに息が止まりそうだった。 髪やサルタのひげから冷たい水が流れ、 三十分もたたないうちに脚も膝まで水の中へ入ったかのように濡れてしまった。 まったく、 宇宙服を着てくればよかった、 こんな天気がないのは地球の気候の一つの良いところだ、 アイスランドでさえまだマシだった、 とサルタはぶつぶつ言っていた。 ゴドーは黙っていた。 寒い。 あのトラックがなければ、 ここで人が住むことも信じられない。 ひどい暮らしだ。 まさかずっと雨が降るのではないだろうね。 サルタが愚痴を言う勢いもなくしたころに、 やっと灯台が見えた。 低い雲に覆われた塔と一軒の家だった。 道が曲がってまたどこかへ続くが、 入り口の前に大きな水溜りがあった。 窓には電灯が黄色くにじんでいた。 しかし近づいてドアを叩いても誰も出てこなかった。 かすかに聞こえる声がラジオの音のようだった。 ゴドーは窓をノックすると初めて、 まるっこいはげ頭の男が向こうから覗いてドアを開けた。 「ノックは気のせいかと思ったんだ。 こんな雨の中に誰も来るはずがないって。 車が故障でもしたのか?」 「船で来たんですけど。 ノタリンさんですか?」 「ええ。 船って、 今日は石炭を積んだヤツしか港に入ってないぞ。 また例の品の話なら…」 「私はサルタという惑星物理学者だ」 とサルタが言った。 「ある現象について情報を探している」 「物理学は魚にも税金にも関係ないね。 監視局の人なら車に乗ってくるし。 じゃあ、 中へ入って」 部屋を横切って洗濯物を干すための紐が掛かっていた。 濡れたコートをそこにかけ、 靴を脱ぎ、 ノタリンが貸したタオルで髪を拭いた。 電熱器があった。 古臭い方式だけど、 熱い空気がありがたかった。 ノタリンが酒のビンとグラスを取り出すとサルタが喜んだ。 ゴドーは断った。 飲まなくても、 動いていないと目の焦点が定まらない。 寝不足を感じ始めていたのだ。 会話に集中するように努力をする。 地球を救える情報が早くも見つかったようだ。 船が三隻燃えてしまった原因不明の火事。 一説で球電が原因だったそうだが、 電気現象というのも探しているものとぴったり一致している。 事件が起こったのはたった二ヶ月前だそうだ。 宇宙時間になおすとどのぐらいだろう、 とゴドーが必死に考えた。 座標も計算しなおすことになるか。 部屋にコンピューターがないから、 二次元の地図を渡されるかもしれない。 頭が働かない。 近くの星の体系を思い出そうとしても昔航海術を学んだ教室の壁しか浮かばなかった。 「では、 事件はどこで起こったんですか」 「この港さ。 船は?もちろん普通の船だったよ、 漁船一隻と貨物船二隻。 あんたたちはどんな船かと思った?」 普通の船。 それを聞いてもサルタは大してショックの表情を見せなかったが、 ビンの酒がかなり減っているからだろう。 一方同じく酒が入ったノタリンはすっかり狂喜してしまった。 この田舎に宇宙船が?いいジョークだ!今すぐ近くの飲み屋へ行こう、 食事をおごるからそこの連中にもその話を聞かせるんだ。 規則では交代が来てから出かけなければならないが、 灯台の明かりを点けるのは雨の日にもせいぜい七時だ。 七時までにフィンチが来るから心配ない。 奴はかぎも持っている。 食事の誘いにサルタは気分を取り直した。 自然な食品を貴重に思っているのだ。 ゴドーも腹が減っていた。 服も靴も全く乾いていなかった。 ノタリンは防水性があるらしいマントをかけてフードをかぶった。 これしかないので貸してあげることはできない、 まあ着いたらすぐ暖まるから大丈夫、 と言った。 外は雨足が弱まって、 叩くのではなく冷たく触るような感じだった。 サルタの酔いもゴドーの眠たさも醒め、 灯台の後ろの崖から降りる濡れたコンクリートの階段でも足を滑らせることはなかった。 崖の下は海岸だった。 倉庫のような建物が並んでいて、 町からかなりの距離があった。 水平線のない灰色の海に数隻の 「普通の船」 が浮かんでいる。 少し離れたところで何台か の車輪方式の車が停めてある。 そこは“ビッグ・ジョーカー”というバーだ。 昔カジノもあったんだとノタリンが説明した。 入り口の両方に白と黒の二本の柱が立っている以外は、 倉庫と大して変わらない外見だ。 中は煙でいっぱいだった。 ニコチンの匂いだ。 ここはタバコという麻薬が禁じられていないようだ。 宇宙の辺境にまだこういう国が残っていることをキャンプでも耳にしていた。 ノタリンが食事を買う金も昔風の紙の札だった。 他の客がまもなくノタリンの話を聞きにテーブルを囲んできた。 大男ばかりで、 顔もキャンプを思い出させる。 もちろん料理は地球と違って自然なものだった。 サルタは歯の間にはさんだ刺を抜き、 フォークでもう一本を持ち上げた。 「生き物の骨の一部のようだが」 「骨がなきゃ魚じゃない」 皆が笑いだした。 これが魚か。 ゴドーは皿の端のねばねばした野菜っぽい物の方を食べ始めた。 ゴドーが、 ひょうたんのような形をした茶色の奇妙な物体をフォークで刺して、 食べようとすると 「それはヒョウタンツギって名前のキノコさ。 おかしな奴でね。 森の中といわず、 野原にも家の中にまでどこでもボコボコ生えやがる。 時には、 怒ったように胞子を四方八方に飛ばす。 でも毒じゃないから安心して食べるといい」 と、 ノタリンが説明した。 ゴドーはこわごわそれを口の中に入れて咀嚼し、 飲み込んだ。 とくに味はしなかった。 トラックの男がしたと同じ質問にサルタが答えるのを聞いていた。 売るもの、 買うものがないか。 密輸品のことだな。 銃を持ってこなかったのは正解だった。 高価そうなものを持っていれば紙くずのような金で無理やり買うか、 取り上げられるかに違いない。 けんかになったら宇宙ハンターでも勝てそうにない。 麻薬の毒煙で頭が痛くなった。 料理の半分を残したままゴドーは 「ごちそうさま」 とテーブルから立った。 サルタも行こうとしたが止められた。 相手はまだ質問を続ける。 いつの間にか薄暗くなっていた。 アイスランドのように極地が近いせいだ。 この星の三つもある衛星にぶつからないように、 極に近い着陸の場所を選んだのだ。 外の空気を吸おうと入り口の方へ行くと一人の老婆が座っていた。 バーの中で唯一の女性、 そしてゴドーたちに興味を示さなかった唯一の人だ。 しかし… 「占ってあげようか」 占いか。 なんという宇宙の田舎だ。 僕は一体こんな所で何をしている。 「何をしているか、 過去に何があったか、 未来のこともね」 「いいです。 占いは信じないから」 後ろで会話の響きが変わった。 サルタがすっかり酔っ払ったノタリンにやっと別れを告げているようだ。 占い師の老婆はかまわずゴドーの手を掴んで身を乗り出し、 ビールの匂いをさせながらしゃべっていた。 「お前はいい人だが、 何かの罪で追われている。 愛する女が一緒でよかったなあ」 「女なんか一緒にいない」 サルタが近づいて言い放った。 「帰るぞ、 ゴドー。 迷信に時間をつぶす暇がない」 「あんたも信じないのか」 と占い師が訊いた。 「わしは学者だからな」 「神のことも?」 「信じない」 「そうか、 そんな年をしてまだ神を見つけてないのか。 まあ、 一所懸命探しているけどね。 探せば見つかるよ」 「いいよ、 わしらは金がないんだ」 サルタがゴドーの肘を取って外へ連れ出した。 外は窓から見るよりも暗かった。 雨はやんだが空気が湿っていて海から霧が流れていた。 吐く息も霧のようだった。 バーの入り口の両方にBとJのネオン文字が光りだした。 頭の上の方では灯台の明かりが空を怪しい青白に染めながら点滅していた。 ノタリンの交代の人がちゃんと仕事へ出たらしい。 崖に登る階段がすぐ側にあった。 高原に出たら道から降りて、 ゴドーの腕時計を頼りにまっすぐ船に向かった。 サルタは重い足取りで歩きながら、 迷信深い野蛮人、 魚の正しい調理法、 人間と惑星の液体代謝の違いなどについて長々と論じていた。 高原に霧がなく、 空に三つの衛星のどちらかかが出ている。 ちょっと大きい三日月のようだった。 オルガが、 レーダーで分かったのか、 遠くから二人を見かけて扉を開けると、 水溜りだらけの地面に長い一筋の光が伸びた。 熱いシャワー、 乾いた服。 サルタは早く寝たが、 ゴドーはオルガの留守番していた間についての報告を聞かなければならなかった。 オルガは停泊時間を効率よく使ってコンピューターの保守ルーチンを実行させ、 空気を入れ替え、 集まった雨水でフィルターを洗ったらしい。 全て順調か。 スクリーンに映るデータを見ても、 字がぼやけて読めない。 「オルガ、 神とは何か知っているか?」 「昔の人たちが信じていました。 いい子が一生懸命お祈をりすれば、 願いをかなえてくれるって」 やっぱり育児ロボットだな、 子供向けにしか話せない。 オルガ自身が子供の心をもっているということか。 「便利ね。 ああいうのがあってくれれば、 地球も簡単に救えるのに」 窓を覗くと三日月の衛星が光を増して空高く昇っていた。 海岸一面が水浸しになっていた。 雨で海があふれたのだ。 ゴドーは“ビッグ・ジョーカー”のバーの前に立ってドアを叩き続けているが、 返事がない。 皆が灯台へ逃げたのか。 「戻ってきたね」 後ろで声がした。 振り向くと、 フードまで水に浸った車の上に一人の女性が座っている。 光に包まれているために顔が見えないが、 あの占い師だとゴドーになぜか分かった。 「ここで宇宙船が燃えたそうですけど…」 「そんなことを調べても意味がない。 質問が違うじゃないか。 君たちが探しているのは神だというのに」 ゴドーは足元が崩れるような思いをした、 そして ―― 停泊した船が航海の時より暗く、 静かだった。 ゴドーが目を覚ましたことに気づいて枕元でオルガが動いた。 「悪い夢なの?」 幼い頃から聞きなれた、 やさしい機械の声。 「違う、 今とても大事なことが分かったんだ。 早くサルタに知らせなきゃ。 僕らが探してるのは本当は神だったんだ」 「今は夜です。 朝になったら伝えましょう」 「明日まで記憶しといてくれる?」 「そうよ。 安心してお休みなさい」 「お休み」 空気が通れるように機密性を低めた船室にサルタのいびきが聞こえる。 外はまた雨が降っている。 ゴドーは毛布にくるまり、 答えが見つかった気持ちで久しぶりに安心して眠った。 |