生まれてから今の十三歳になるまでこの小さな町に暮らしてきたのに、 ケンは 町の人の顔を全部覚えていたわけではない。 それでも商店の前にひとりぽっち立 っている青年がよそ者だとすぐ分った。 まだ夏のように暑いのに黒い服を着ている。 黒いシャツなんて、 売っているの を見たことがない。 髪の毛も黒くて、 長め。 肌の色は日焼けにしておかしくない が、 近づいて見ると焼けていないかもしれない気がした。 顔立ちもどことなく珍 しい。 まるで ー まさか ー まるで外人のようだ。 商店の昼休みが終わるの をちょっと心配そうに待っているようすだった。 「なあ、 この店でこれが使えるだろうか」 若者がケンに声をかけた。 ポケット からトランプの札のような物を出している。 「ユニバーサル電子貨幣だけど」 ケンは耳を疑った。 「デ… デンシカヘイ? それは、 敵の外貨と同じじゃないか?! こんなも のを人に見せたら、 逮捕されっちまうよ」 「この国はスター合衆国とまた戦争しているわけか?」 「あんたはいったいどこから来たんだ?」 若者は辺りをチラッと見回した。 授業をサボっている学生のような顔つきだった 。 「ちょっと説明が難しい… つまり、 買い物は無理だね」 「ただ立っているだけでも危ないよ。 すごく目立っているんだ」 ケンは馬鹿みたいな笑いが広がるのを感じた。 外人とは、 宇宙人やスパイやロボットのように漫画に出てくるだけの存在だっ た。 ラジオで敵のスパイのことを言うのはただのプロパガンダで、 この退屈な町 に実際に現れてくれることはないだろう。 だからこう本物の外人と話していると 、 夢じゃないかと自分の手をつねって確かめたくなる。 ソールさんたちに会わせなければ。 すごく喜ぶだろう。 外人にも、 知り合いを 見せて自慢したかった。 「近くに僕の先生が住んでいるけど、 遊びに行かないか?とてもいい人だから 、 大丈夫だ」 すこし考えてから言い足した。 「彼は反体制派なんだ」 どうしても信頼してもらいたいのだ。 「いいよ」 若者は微笑んだ。 ここは田舎だから馬鹿にしているだろう。 でもソールさんに 会えば尊敬してくれるはずだ。 ほこりっぽい通りを急いで歩く。 幸いに暑さのために町がしいんとしていて、 子供も酔っ払いも、 家の前のベンチでおしゃべりするバーちゃんたちも、 ほとん どいない。 市役所。 白いペンキの塗った、 手であらぬ方をさすモニタ書記長の像。 国旗。 映画館の壁に色あせた戦争物のポスター。 「あんたの国はどういう感じ?高架橋とか、 摩天楼はあるだろう?」 「うん、 たくさんある」 「宙を飛ぶ車は?」 「高く飛ばないが、 リニアカーというのはある」 「ロボットは?」 「人より多いかも」 「すごい! 見てみたいな」 「高架橋ぐらい、 この国にもあると思うけど」 「アレックスは首都レングードに暮らしたが、 あまりないといっていた」 「そうか… それでもね、 ここみたいに庭のついた家は僕のところにない。 木 もない」 確かにこのあたりの町並みはもう田舎と同じだ。 低い木造の家、 板塀の下に生え るイラクサ。 鶏の声がする。 「木なんか退屈だ。 リニアカーに乗って、 ハイウェーを走ってみたい」 外人が笑った。 「僕は君ぐらいの年頃に、 森の中を歩くことを夢見ていた」 しかしソールさんの住む家が、 ケンにいつもよりみすぼらしく見えた。 二匹の 犬、 シロとクロは木の陰で寝ていて、 吠えようともしない。 アレックスは裏庭で ジャガイモを掘っているが、 ソールさんは仕事している。 ベランダからタイプラ イターの音が聞こえているのだ。 「気をつけて、 一番上の段に穴があいている」 きしむ階段をのぼってベランダにケンが先に入った。 「先生、 すごいよ!これは… この人は… 」 「ゴドーといいます」 外人は ー ゴドーは手を差し出した。 原稿の散らかった机ごしに握手すると、 アレックスがバンダナで顔を拭きなが ら入ってきた。 「どうした? だれだ?」 「商店で電子貨幣を使おうとしてたんだよ」 「本当か。 あんたはどこから来たんだ?」 「地球。 空気を取り替えるためにこの近くに船を停めたんですが、 戦争中とは 知らなかった」 ソールさんとアレックスが視線を交わした。 「国家保安局にしては大げさすぎると思わないか?」 「その格好で外貨を振り回したりするのは、 宇宙人か地球人ぐらいだね」 「じゃあ、 座って」 本当のことを言うと、 ケンもアレックスも、 多分ソールさんも地球と聞いてが っかりした。 遠すぎる、 この星とかかわりがなさすぎるのだ。 それにゴドーがま ともな宇宙空港に顔を出せないことが分ると、 最後の期待が裏切られた。 力にな れる人ではない。 彼に外国でここの状態を明かしたり、 戦争停止や人権の実施を 訴えてもらえない。 逆に国際情勢についても何も教えてもらえない。 ただ、 ケン が車について訊いたように好奇心から地球の話を聞く。 とうぜん政治のことだ。 ゴドーはソールたちほど政治や経済に興味がないようだった。 質問に「よく分 からない」 と答えることが多かった。 それでもだんだん話が弾んできた。 ケンは分るふりをして聞いていたが、 やがて鉛筆を拾って落書きをはじめた。 得意の戦車の絵だ。 せっかくの外人をここへ連れてくるまえに、 少しでも二人で 話をすればよかったのに。 また話せるチャンスがあるだろうか。 「言論の自由ですか。 僕は新聞をあまり読まなかったんだ、 どうせ広告一面だ から」 「広告、 企業の競争、 自由な市場経済」 アレックスがすっかり興奮している。 「みんなにも聞かせてくれないか。 今夜集 まればどうだろう」 ゴドーは暇があると言って、 ソールさんも頷くとアレックスが上機嫌にいつも の安いワインを買いに出かけた。 ベランダは静かになった。 一匹のハエが庭のほうから窓ガラスにぶつかった。 「では、 あんたは何を探して旅をしているのか?」 ソールさんが微笑んで訊いた 。 「火の鳥です」 「漫画?」 ケンがおどろいて落書きから顔を上げた。 「いや、 本物。 漫画もあったのか?」 「もうないかもしれない」 ソールさんが説明する。 「有害図書のなかの有害図 書として迫害されて消えてしまった、 まぼろしの作品だ」 「漫画が有害図書ですか?」 「あれは下品でくだらない二流の文学。 愛国心を鈍らせ、 若者の頭を腐らせる 」 ケンがニヤリと笑いながら言った。 「一冊でも持っていれば投獄される。 ねえ 、 先生、 ヴェラさんのところへ行ってゴドーに漫画を見せたいですが」 「まあな。 人に見られないように気をつけて行けば… 」 「分ってます」 「今夜のことについても言っておいて」 「はい」 ケンはゴドーを裏庭から連れ出して、 溝に沿って枯れかかった高い草の中を歩 いた。 向こうの畑は豆の取入れが終わっているのでだれも来ないだろう。 見られ ずにすむはず。 草に虫が鳴いていた。 ゴドーは畑や遠くに見える林やあわい色の空を見回した。 「いい気持ちだ」 皮肉な様子がなく、 本当にここが気に入っているらしい。 変わった人だな。 「君の先生は作家なのか」 「もともとは軍隊にいた。 怪我をしたので退役して、 年金生活。 彼は今の戦争 の本当の歴史を書いているんだ、 新聞なとに載っているのは嘘ばかりだから。 ア レックスも手伝っている。 アレックスは「書記長とヒョウタンツギ」 を歌った疑 いでレングード大学から追い出されたよ。 今夜歌ってくれるかな。 モニタ書記長 について、 すごくおかしい歌だよ」 「そして君は漫画を描いているのか」 「え?」 「さっき、 戦車の絵を見たけど上手だな」 ケンは誉められて顔が熱くなった。 「あれはただの落書きだよ。 ヴェラさんのところの漫画は絵がまるで映画のよ うだ。 いろんな漫画家の本がある。 戦争の前に図書館に勤めていて、 漫画が禁止に なったとき焚書にされるものを50冊も持ち出して守ったとか… でも火の鳥のが 焼かれてしまった」 「火の鳥は不死だから燃やしても燃えないだろう」 ゴドーが励ますように言っ た。 「炎の中で生まれ変わって、 うんと強くなる」 「冗談だね」 「本気で信じてる人がいる」 ヴェラさんの家の板塀の裏側についた。 りんごの木のしたで板が二本抜けてい るところから入るのはケンにとって行きなれた道だった。 ゴドーも機敏に後を追 う。 目の前に洗濯物が掛かっていたが、 大きなシーツの下をくぐろうとしたとき、 ゴドーが突然ケンの腕を引っ張った。 イラクサに転んでしまったケンは、 ゴドー の顔を見て声をださなかった。 何かが起こったのだ。 ケンに黙る合図をして、 ゴドーは唇だけで言った。 「漫画図書館がばれた」 用心深く草むらから顔を出して庭を見た。 ゴドーの言うとおり、 警官が三人いた 。 漫画が隠してあった小屋の前で本が地面に散らかっている。 見ているうちに四 人目が両手一杯に漫画を抱えて小屋の中から現れた。 家のほうはどうなっている か見えなかったが、 捜索されているにちがいない。 ケンとゴドーは来たと同じ道を戻っていった。 こんなに近くで危険を初めて見たケンの気持ちは混乱していた。 体制と戦う仲 間の一人がひどい目にあったのだのに、 勝手な考えが次々と浮かぶ。 先週借りた 漫画三冊は、 これで自分のものになるだろうか。 もっといいのを借りればよかっ たのに。 今夜のパーティは論外になるが、 アレックスの歌を聴きたかった。 頭の 中で「書記長とヒョウタンツギ」 の行進曲のようなリズムが響きはじめた。 「なんともったいないことだ」 突然ゴドーがつぶやいた。 「漫画のために戦うなんて」 「自由のためだ」 ケンがおどろいて答えた。 「この馬鹿げた国をまともにするためだよ」 ゴドーはじっとケンを見つめた。 「コンクリートと広告があれば、 まともだと思ってるのか?」 「今よりはマシだろう」 「物があるからといって、 海外は天国じゃないよ」 ケンは答に困った。 この人がまるで教科書に載っているようなことを言っている。 海外は天国じゃない。 では、 ここが天国というのか? 地球が遠すぎるから何も 分かっていないのだろうか、 それとも… 突然不安を感じた。 ソールさんの ところへ連れて戻るのは本当に大丈夫だろうか。 とんでもない間違いをしてしまった かもしれない… 「行こうか」 ゴドーが言った。 「早く先生たちに警告しなければ」 ケンはしぶしぶと歩きだした。 家に着くと、 アレックスはまだ帰っていなかった。 商店の行列に並んでいるのか、 知り合いのところへ寄ったのか。 何人を誘ってしまっただろう。 急いで探し出すのは、 もちろんケンの役目だった。 足も速いし、 少年が町中を走り回っても誰も疑いを持た ないのだ。 しかしまずは疑いのことをソールさんに話した。 ゴドーの前でとひそひそ話をするのは嫌 だったけど、 仕方がなかった。 そしてソールさんはゴドーに訊いた。 「あんたは変なプロパガンダをしたそうだが」 「漫画のために死ぬのがもったいないと言っただけです。 ここの暮らしは悪くなさそうだし」 「この国は複雑だ… おい、 ケン、 早くしてくれないか。 客さんに林へ抜け出る道を私が教えるから」 ケンはゴドーに別れの挨拶もしないで、 街へ飛び出した。 悔しかった。 素敵なことが始まりそう だった一日が、 こうも変わってしまった。 次の日は市役所の前の広場で学校の生徒が整列していた。 焚書だ。 昨日発見さ れた、 愛国心を損ずる漫画が焼かれているのだ。 日差しと火の熱を浴びながらケ ンも立っている。 学長がモニタ書記長の像を背景にして演説しているが、 ケンには聞こえない。 ゴドーから聞いた、 火の鳥が燃えて生まれ変わる話を思い出している。 眩しい日 差しのために炎が透明に見え、 目の前に本のページが端からまくれて黒くなって 散っていく。 もしその中に火の鳥の漫画があっても、 灰になってしまえば二度と 復活しないだろうな。 火花と一緒に焦げた紙がまるで羽のように舞い上がる。 まだ絵が残っているペ ージの切れ端がとんでいった。 それを目で追いながら、 駆け寄って掴む自分の姿 を思い浮かべるが、 もちろん皆と並んで見つめることしかできない。 しかし切れ 端は同級生のコリンくんの足元におりてくると、 コリンはこっそり踏んで隠した 。 こいつも仲間だったのか。 後で話をしてみよう。 モニタの像は生徒たちの頭ごしに国の方針を指し、 本の山が燃えつづけ、 光を 浴びた広場に黒い紙が降りつづけていた。 ケンが決意をしたのは、 そのときだった。 ゴドーが言ったとおり、 新しい漫画 を描けばいい。 僕が火の鳥を死なせない。 自由と冒険と遠い国についてや、 戦争 の真実について、 そして火の鳥についても、 新しい漫画を自分で描くのだ。 今日は漫画復活の最初の日。 |