目を覚ましたくなかった。 まぶたの外で何か恐ろしいこと、絶望するようなことが起こっている。 ゴドーは隠れたかった。 しかしあのことは何だか忘れていても逃げ場がないことだけ覚えていた。 目を覚まして恐怖に直面するしかないのだ。 しかし目を開けてみると平和で透明な朝だった。 日差しの中で露が輝いている。 傍でオルガがやさしく微笑む。 美人だな。 でも違う姿をしていたことがあるという気がするのはなぜだろう。 「おはよう、ゴドー。 今日は本当に早いわね」 「ああ」 「ご飯はまだです。 木の実、採ってくるわ」 「いいよ」 軽い足取りで草原を歩くオルガの姿を、花咲く木の陰に見えなくなるまでぼんやりと見送った。 空が虹色に光っている。 いつもと同じだ。 一色だけの空をどこで見ただろう。 先のは、後味の悪い夢だった。 朝食の前に近くの川で一泳ぎしたら気持ちがすっきりすると思って、ゴドーも立ち上がって草原へ出た。 露にぬれた草が涼しかった。 裸足で草を踏むことをなぜか贅沢と感じた。 草のない世界がどこかにあるというのか? 林に入るとゴドーは歩きながら一個の果実を摘んで噛んでみた。 …草が贅沢に決まってるじゃないか、元老院の庭にでも行かなければ本物が見られないから。 りんごも。 リンゴ? 果実の皮が赤く、果肉が白くて気持ちいい歯ごたえだった。 こんなにうまいものをオルガが一度も採ってこなかったのがおかしい。 そしてオルガが知らないのに自分はなんでリンゴだとわかったんだろう。 「昔はそういう珍味がいくらでも手に入ったもんだが、いまじや、幻の食いものだ。」 誰かの言葉が浮かんできた。 コンクリートの空の下の薄暗い場所。 バカ、部屋には空などない、天井だ… サルタ博士。 あの人の名前か? 夢で見た悪いことと何かぜったいしなければならないことの始まりだったような気がした。 あの大事なことをまだしていない。 いつの間にかりんごを種ごと食べてしまった。 その味で全部を思い出しそうだったのに。 もう一個がないかと木を見上げると、横目で林の奥にちらっと光が見えた。 つや葉でも水でもない、鋭い人工的な光だった。 ゴドーは胸騒ぎを感じた。 岩のような塊がある。 つたに覆われているけど、形に見覚えがあるのではないか。 緑の塊に駆け寄って、つたを掴んで思いっきり引っ張った。 揺さぶられた茂みから蝶々が舞い上がり鳥が飛び出した。 もう一度引っ張ると、緑の下から焦げた金属が現れた。 スペース・シャーク号だ。 この星に不時着してからゴドーとオルガは船を捨てていたのだ。 なぜ一度も戻ってみなかったのだろうか。 船のことを忘れていたなんて! 震える手でドアを探す。 開けた。 宇宙船の中に入る。 窓がつたで覆われていて木漏れ日が少しだけ差していた。 外の鳥の声が聞こえてこないが、静かではなかった。 音の原因がわかるまで数秒がかかった。 生命維持システムが働いているのだ。 航行中にはその音に自分の息や心臓の音のように慣れていて聞こえないに等しかったが、今は世界で一番すばらしい曲のように思った。 船が生き返っている。 戦闘のときに過熱してシャットダウンした原子炉が時間が経って元に戻ったらしい。 ゴドーはコックピットへと走った。 プラスティックの床が滑らかで固い。 突然細いものが足に触れた。 壁のスイッチを入れてみると、廊下の奥に外と同じほど緑が茂っている。 つたが壁を這い、コケが生え、床から草が伸びている。 ところどころに花まで咲いている。 ここに光も土も水もないのに。 サルタ博士から「生命の木」の話を聞いたことがある。 どんな環境でも茂る仮想の絶対植物だ。 ロックのプロジェクトの前にロートンという遺伝子学者が「生命の木」を使って地球を蘇らせる計画を出したが失敗したとか。 雨が降らない塩の荒地に生きられる植物を最高の科学力でも作れなかったのだ。 まさかこんな宇宙の果て、星図にも載っていない星で「生命の木」が自然に生まれたというわけか? コックピットがまるで藪の中のようだった。 ゴドーはパイロット席からつたを払って座った。 コンピュータの待機状態を示すライトが光っている。 キーボードがスミレのような花だらけだ。 根が浅くて、あっさりと取れた。 コンピュータの中に生えたら洒落にならない。 ゴドーはシステムのセルフテストを始めさせた。 ビッという小さな音とともにスクリーンに情報が出始める。 じっと見ても異常がなさそうだ。 画面の黒い背景にいつもと変わらないゴドーのシルエットが映っている。 いつもと変わらない? 髪に手をやる。 最後の停泊のときオルガに刈ってもらって以来伸ばしっぱなしのはずなのに、まったく伸びていなかった。 手を見るとつめも伸びていない。 いったいどれくらい時間が経ったのだろうか? 船が茂みに飲み込まれてしまったから、相当の時間だ。 ならどうして…? 興奮が凍りつくような恐怖に変わった。 「何をしているの、ゴドー? 」 ゴドーが飛び上がった。 コックピットのドアにオルガが金色の日差しを浴びて立っている。 廊下に窓がないのに。 「朝ごはんを作ったわ。 外へ出ましょう? 」 「だめだ!」 ゴドーは駆け寄ってオルガの手を掴んだ。 「この星がおかしい。 時間の流れが狂ってる。 全部幻なのかもしれない。 外へ出てお前が消えたらどうしよう。 オレたちは夢を見ているのか? もう… 死んでいるのだろうか? 」 「夢ではありません。 あなたは本当にここにいるわ」 「お前も本当にいるよな?」 今朝の悪夢の中ではオルガを失っていた。 二度と絶対に別れたくない。 ゴドーはオルガを抱き寄せて目を閉じた。 彼女の髪の手触りでもう一つの記憶が浮かんでくる。 こうしていつまでも抱き合って立っていた記憶。 火の鳥が壊れたロボットを美しい女に変えて蘇らせたときのことだ。 あのときもオルガを手放せば消えるんじゃないかと不安だった。 オルガが奇跡で、この星も奇跡だ。 火の鳥なら生命の木を生み出すこともできるし時間をとめることだってきっとできる。 「メインコンピュータ、テスト完了。 機能ニ異常アリマセンデシタ。 原子炉ノ操作、順調。 機械ノテストニ移リマス」 背後でコンピュータの声がした。 ゴドーはオルガを放した。 不思議な光が消えていたが、緑と機械の音とオルガは確かにここにあった。 自分自身も。 不安がなくなってすべてがはっきり見えてきた。 やっと完全に現実に戻ったのだ。 そしてその現実は最高だった。 「これで使命を果たせるよ、オルガ!」 「使命? 」 「この星の草とか野菜を持って帰るんだ。 地球に植えたら豊かになる。 火の鳥がきっとそうさせたかったと思う。 オレたちをここへ連れて、船が直るまで時間をくれたから」 「でも地球は危ないわよ」 「だから急ぐんだ」 「もう、遅いかもしれないわ」 「間に合うかもしれないじゃないか」 「ここにいましょう。 この星が嫌いなの? 」 「何を言ってるんだ? 」 ゴドーはすでにこれからすることを考え始めていた。 機関室も森になっているに違いない。 徹底的に除草して、ピンチョが残したほうきで掃除する。 外板や仕切りの様子も見なければ。 不時着の時に倉庫の半分ぐらい機密性を失っていたが、いくら生命の木でも真空じゃだめだろう。 急に元気が出たゴドーをオルガは悲しい気持ちで見つめた。 この星でずっと二人で幸せに暮らしたかったのに、ゴドーをとめることはできない。 できることはただ一つ。 どこまでも、どこまでもついていく。 「オルガはいつもゴドーと一緒」 「よかった! じゃ、倉庫を見てくる… そうだ、この近く木にすごくうまい果物があった。 地球に運べないかな。 オルガも食べてみろ。 りんごというんだ」 |