「博士、 ゴドーと話してください」 薄暗く点滅している廊下のライトに照らされたオルガの顔は、 表情があるはずがないのに、 心配そうに見えた。 ゴドーが元気をなくしていることにサルタも気づいていたが、 ロボットにまで言われると大したことだ。 難破軍艦を見つけた日からずっと落ち込んでいる。 確かに、 宇宙を漂う壊れた船は不気味な眺めだった。 しかしサルタから見れば破損はさほど恐ろしくもなかった。 ほとんどの武器がまだ使える状態だったので、 二基のレーザー砲を外して自分たちの船に積んでおいた。 死んだパイロットのことは、 自分の教官だったとゴドーが言っていた。 教師は若者にとって誰よりも大切な存在だったりする。 だが、 オルガが言うにはあのボルカン教官が残酷で性悪な人間でゴドーと特に仲が悪かった。 あんな悪漢が死んだからといって、 ロボットまで心配させて哀しむのか。 ゴドーの気持ちがよく分からないまま、 サルタはほっとくことにしていた。 そして今はオルガが頼んできたのだ。 「ゴドーと話してください。 ゴドーは悩んでいます。 オルガに慰めてあげることができません。 オルガがそんなことを考えると電子頭脳が燃えてしまうとゴドーが言っています」 サルタがゴドーのいるコックピットへ向かうと、 背後でうるさい金切り声がした。 「やれやれ、 何を悩んでいるんだか知らねえけど、 世話の焼ける坊やだぜ」 クラックだ。 今の話を聞いていたのか、 その悪ガキ。 サルタは聞こえない振りをして廊下を歩いた。 しかしクラックが一人ではなかったらしい。 ぬいぐるみロボットのピンチョがたしなめる。 「そんなこと言うなよクラック」 「へっ、 俺の考えるところではせいぜい地球に残してきたとかいう女のことさ、 くだらねえ」 ピンチョは思いをめぐらすように「レナのことだったら、 俺はよく覚えているよ、 俺は彼女のペット・ロボットだったんだ。 ゴドーとレナは愛し合っていたはずだった。 身分違いだったけど、 それははっきりしていたよ。 でも、 レナは裏切った。 俺にとっては今のレナは何の意味も持たないよ。 ゴドーも彼女のことは早く忘れた方がいい…」 おどろくほどの会話能力。 さすが、 おしゃべりするために作られたロボットだ。 クラックの言うとおりでなければいい、 とサルタが思った。 女のことはさっぱり分らない。 若い頃に振られた経験はあるが、 本格的に仕事を始めてから研究の内容以外考える暇のない人生だった。 恋愛相談の相手はできない。 「へー、 するとおまえはあくまであの坊やの肩を持つんだな、 俺は違うね、 どうもあいつは好かないんだ」 とクラックが言い張ると、 ピンチョは「いい加減にしろよ、 クラック。 どうしてそんなにひねくれているんだ」 「ひねくれているとはなんだ! 」 「本当のことだろ?」 「やる気か! 」 サルタが振り向くと、 すでに二人の取っ組み合いのけんかが始まっていた。 最近ゴドーがクラックの相手をしなくなったので、 ロボットをいじめることが多くなった。 「おい、 やめろ! 」 クラックがしぶしぶとピンチョを放して、 床にころがっていた何かの機器のふたを「ちくしょう! 」 とけっとばした。 「いてっ! 」 ふたは廊下の壁という壁をぶつかって、 最後にクラックの後頭部を直撃したのだ。 サルタがコックピットに入ると、 ゴドーが相変わらず沈んだ表情で座っていた。 サルタは隣の席についた。 「なあ、 最近おまえさんのことが気になっている。 ゴドー、 どうしたんだ?」 サルタを見上げて若き船長は一瞬ためらったが、 急に子供のように悩み事を語り始めた。 「ボルカン教官は宇宙ハンターで一番強かった。 船も、 最新最強の軍艦でした。 もともと乗るのは僕だったから、 分るんです。 ボルカンはきっと僕の代わりに火の鳥を捕まえに行かされたと思う」 確かにそうだろうとサルタも考えていた。 「特別任務を受けたとき僕は嬉しくて夢中だった。 英雄になって帰ったらレナと結婚できるとか、 元老院に入って人類のために働こうとか、 いろいろ考えていた… 馬鹿だね。 キャンプで博士の話を聞いたときも、 赦免を得よう、 地球へ帰って暮らそうと思ったのです」 灰の下から燠(おき)が熱く光るような、 絶望に燃える表情だった。 「でも無理ですよ。 さすがのボルカンをあっさり殺せるものに僕たちは勝てるわけない。 戦って、 死んでしまう。 しかもそのことさえ人に知られないだろう。 宇宙は広い。 僕たちはゴミのように浮遊するだけだろう、 永遠に… 僕はいやです。 死ぬなら人の役に立って死にたい。 これでは何の意味もないよね」 「結果なんか考えるな。 名誉や褒美のことをあのボルカンが考えただろう。 だから負けたのかも知れん。 今が肝心だ。 わしらがここにいるのは、 信念をもっているからじゃ。 正しいことを知り、 すべきことをするのだ」 「すべきことをするって、 ロボットじゃないか」 「いや。 人間はロボットと違って感情を持っている。 誘惑に迷ったり、 今のおまえのように一人になるのを恐れたりする。 そして人間にはプライドもあるのじゃ。 自分自身に対して “正しいことをした”と言い切れる気持ちさ。 重要なのはそれだけ」 いつの間にか、 二十年前にメトロポリス大学の教授を辞めさせられて学生に言ったと同じことを口にしていた。 「しかしなぜ僕たちですか?」 「世の中には偶然というものがない。 ここにいるなら、 ここにいる運命だった。 選ばれたと思えばよい。 だから逃げてはならない。 運命に甘ったれないやつに対して運命も敬意を示すことがあるし」 「正しいことをするプライド、 ですか」 ゴドーは考え込むようにしばらく黙った。 熱に浮かされたような表情は以前の輝きに戻りつつあった。 「そういえば廊下のライトを直さなければ」 コックピットを出るゴドーをサルタが見送った。 若いものは気を取り直すのが早くて、 うらやましいな。 ドアの向こう側から、 見守るものがいた。 ピンチョは満面の笑顔だった。 クラックも笑いかけて、 あわてて不機嫌な表情にもどったが、 その表情ははにかんでいるようにも見えた。 一方サルタのほうが、 ゴドーの暗い気持ちが移ったかのように不安になってしまった。 話をしているうちに自分の行動のだらしなさに気づいたのだ。 正しいことをするには、 まずしようとすることが正しいかどうか確かめなければならない。 頑固に無理を通したじゃ、 元老院の連中と同じだ。 何の美徳もない。 昔は何でもコンピュータでシミュレートして調べていたのに… 船のコンピュータを起動させてメインメニュを開く。 これだ。 「シミュレーション」 の項目。 「シミュレート行ないますか」 ブリキを鳴らしたようなコンピュータの声がしゃべる。 「そう。 事実その一、 火の鳥はエネルギー体である…」 「入力を処理できません」 「なに?」 「このコンピュータでは、 指定された速度と質量を持った物体との近接、 衝突、 または指定された状況での離着陸をシミュレートできます」 「わかった。 役に立たないってことだな」 計器盤を指でたたきながらサルタは壁を睨んだ。 オルガがコックピットに覗いてきた。 「博士、 夕食はヒョウタンツギ入りピザでいいですか?」 クラックの好きな食べ物だ。 子供だから、 オルガが甘やかしている。 「どうせまともな食い物がないから。 りんご一個もない… おい、 待ちなさい。 おまえもコンピュータだろ。 シミュレーションって分るかい?」 「オルガにシミュレーション機能があります」 「よし、 ここに座りな。 個々の事実はわしらの会話から知ってるから、 インプットしなくて済む。 じゃあ、 おまえさんは火の鳥だ。 今どこで何をしている?」 「火の鳥… 私は火の鳥、 生命をもったエネルギー、 形をもった生命です。 無限空間をどこまでも飛び続ける」 パイロット席の背にもたれかかってサルタは目を閉じた。 なんと響きのいい、 済んだ声だろう。 「さびしい、 さびしい… 私は、 生命を司るたいていのことはできる。 けれども、 一番ほしいものをどうしても手に入れることができない」 目に見えるほどだった。 キラキラとした虹色の輝きの中に、 人間の女性とみまがうような美しい、 スマートな鳥の姿が見え出していた。 尾羽根の色は、 孔雀を思わせるカラフルさだ。 鳥は悩ましげに首をかしげ、 一度まばたきをして、 続けた。 「私のところに貪欲に長生きをしようとして私の血をほしがる統治者に命令された何人もの調査員が現われては、 私を強引に捕らえようとした。 無駄な努力だった。 それは彼らの死を早めただけ。 彼らはどうして、 本当に大切なものを知らないのだろう? それとも、 私は永遠に“それ”を探し求めることになるのだろうか?」 「捕らえに来る人が気に入らなかったというのか?」 サルタは独り言とも質問ともとれる言葉を発した。 すると、 鳥が初めて彼を見た。 まっすぐなまなざしで。 「サルタ博士、 あなたは何のために私を探しに来たのですか? 忠告しておきます。 今のうちにお帰りなさい」 「わしは帰るわけにはいかない。 鳥よ、 おまえは一体…」 「あなたがどんなわけをお持ちかは知りませんけど、 それは不幸な結果にしかなりません。 お帰りなさい、 今のうちですよ」 そうして、 鳥は消えた。 そこには可愛い人形の顔をしたオルガだけが残った。 サルタは目を疑うかのように目をこすった。 「やれやれ、 年をとりすぎたようだ。 まぼろしを見るなんて。 自己催眠してしまったな」 「オルガは台所へ戻っていいですか?」 「ああ、 こんなシミュレーションしても無駄だから」 サルタは腹を立てていた。 育児ロボットは子供の気持ちの変化に反応できるように、 感情モデリングを中心に設定されているものだ。 幻を見てしまう自分も自分だ。 コンピュータさえあれば。 しかし… 立ち上がって、 サロンへ向かう。 サロンで、 クラックの通訳なしで言葉が通じないこの旅の案内人、 プークスが一人で静かにバグパイプを吹いていた。 山のような身体を寂しそうな音に合わせて揺らしている。 サルタが入ると音楽をやめて、 照れたように無言に出て行った。 そんなプークスを見ようともせずに、 サルタは棚をあさり始めた。 あった! 前の乗員の誰かが漫画を描きかけたノートだ。 ページの半分は空白だ。 鉛筆もある。 学生時代、 大学のコンピュータに知らせたくなかったことを全部紙に書いていたじゃないか。 可能性の木図。 火の鳥の研究を初めてまもなく書いた、 あらゆる可能性が二つにまた二つに分岐する枝で示されていた図。 あれを再現して、 取るべき方針を決める。 サルタは鉛筆をノートに走らせた。 火の鳥は存在する。 これだけを否定の効かない断言としよう。 それから枝が二本。 片方は分岐を繰り返して広がり、 片方はすぐに終わっていたのを覚えている。 その選択肢が分かれる最も基本的な点はなんだったか。 鳥の身体を構成する物質の集合状態? 移動方法? 大きさ? 違う、 違う、 全部違う。 「ライトを修理するから、 しばらく無重力状態に入ります。 みんな気をつけてください」 船内ラジオからゴドーの声がした。 「待て! 」 サルタがさけぶと、 宙に浮いていた。 落としてしまったノートも、 羽ばたくようにしながら舞い上がった。 手を伸ばして掴もうとするが、 狙いが外れてサルタが宙返りを始めた。 ノートは意地悪するかのようにゆっくりと流れていった。 「いまいましい! どこへ行くんだ、 止まれ」 ノートに向かって怒鳴ったその瞬間に思い出した。 拒絶した片方の選択肢。 認めたくなくて、 忘れることで二十年も避けてきた可能性。 それは、 火の鳥が知能を持つ可能性だった。 |